前回の記事で学校教育は時代が変わっても内容に大きな変化がない。
社会がITやAIによって大きく変わったのだから、教育も時代に合わせて変わるべきだ。ということを書きました。
そのような大きな時代の変化だけでなく、学校教育はどうしても昔のことを学ぶ傾向があります。
社会の授業では、ほとんどの日本人が一生に一度も行かないような遠い国の気候や農産物を学んだり、自分が生まれる何百年も前の歴史だったり、私たちの日々の生活から決して身近でない事柄に大半の時間を費やしています。
一般常識としてそのようなことを知っていることは有意義なことだと思いますが、一方で身近なことはほとんど扱っていない点は問題があると感じています。
例えば、最近のニュースでは「政府備蓄米を随意契約で卸して、5kg2,000円程度の販売価格で国民に提供する」というようなニュースが報道されています。
実際、農水大臣が小泉氏に変わって短期間で政府備蓄米が市場に流れたことは評価すべきと思います。
他方で、一部の国民しか購入できていないとか、市場の米の価格はあまり下がっておらずその場しのぎの効果しかない点とかを鑑みるとパフォーマンス重視で効果の薄い政策と感じています。
自民党・森山裕氏「食料安保へ5年で2.5兆円確保を」 石破首相に提言
昨日のニュースに上記のニュースがありました。
つい最近、2017年までは日本人の米の消費に対して生産量が多すぎていたため、減反政策が行われていましたが、昨年からの米不足で米の価格が急騰してしまいました。
そこで米の価格を下げるために、稲作を大規模化し、米の生産コストを押さえて、かつ、作り過ぎた場合には輸出する政策にかじを切るというものです。
米の価格を下げるために考えられた政策ですが、そのために2.5兆円つかうというのはどうなのでしょうか?
2.5兆円と言えば、国民一人当たり約2万円。家族4人ならば約8万円を負担することになります。
大規模化によって米の価格が5kgあたり500円下がったとしても、家族4人で160袋買わないと元が取れない。
しかも、5年で2.5兆円投資すれば、その後も長期にわたって日本の食料が安定して手に入るというものではなく、技術はどんどん進むし、設備は古くなれば交換が必要になる。
消費税による税収が年25兆円程度なのに対し、5年間とはいえ2.5兆円は巨額の投資と言える。
そう考えると、米の価格を下げるためという点では効果はないに等しいと言えます。
本当にこのような政治が国民のためになっているのか、いろいろな考え方があり、答えは一つではないけど、学校教育もこういった身の回りのことを学ぶべきだと私は思います。